Ato55Letのブログ

だんまり静かな日記である

闇の中 光を目指す 歩み方

はっと気づいたことがある

色々転職されてて上手くキャリアを積んでこられている方の記事をよく読みますが

この人たち、自分の過去の選択を肯定してると思った

自分が今までしてきたことに対して胸を張っておられると

それ大事なんかと思った

ハッとしたのは、自分に対してです。

私、自分の過去を日々否定してきた

自分がしてきたこと全部無駄やったと思ってるみたい

本当に無駄なんじゃないかと思ってる

自分の過去の経験を無駄だと思っている様では、人から今後の私を見込んでもらえないかもしれない

この子、今まで何も考えずに、何もせずに、何の成長もないようだし、突っ立ったままの人欲しくないって

普通の感覚の人だったら当たり前に要らないと思われてしまうんじゃないか

私が望む働きやすい優良企業の方はきっと普通の感覚の方が多いだろうから

私みたいなのは、お断りで当たり前だろう

では、私はどうしたらいいのか。

自分の過去共に今の自分をどうして認めてあげたら良いのか

頑張ってきたことは確かだし、頑張ってこなかったとは認めない

けれど、いつも考えが足りないのはわかる

ただ頑張れば良いってものじゃないの

それに気がついたのが24歳今だっていうね

考えるってことを止めて頑張ることは無駄に近いよ

それが自分の有限である人生に必要な頑張りなのか取捨選択する必要がある

自分は高校生になって頑張る意味がわからなくて、無気力で向上心がそぎ落とされて

うつ病みたいだった、実際リストカットも一度してしまったこともあるし、普通の状態ではなかったみたい、自分が無力の塊でそれを自分の力でどうにもできないと打ちのめされていた

そんな状態でいける勉強しなくても入りやすい大学に行くことにして、

大学生活1年目も鬱のような感じで最大級に太って精神状態もひどかった

2年時からやっと頑張ろうと思うようになった、苦しみはあったものの

頑張ろうと思えるようになった 全くの無気力からは少し変わってきた気がした

けれど、自分が頑張る場所を間違えると将来先細り厳しい現実が待っている

今がその厳しい現実です。大学時代頑張ってきたことが自分の将来したくないことだという自覚はぼんやりあったけど、大学時代に変化を起こすほどの気力と自分のこの先の人生を自分にとって幸せなモノにしたいという熱意は持てなかった

今のところで頑張ることが精一杯だった、これは認めなければならないね

だけど、いつか頑張れなくなる それが今だ 私はその道で頑張れなくなった

自分にとって上りと下りのエスカレーターがあって、私は大学選びで下りに乗った

下りに乗ったのは仕方なかったかもしれないけど、頑張れるようになったら自分にとっての上りエスカレーターに飛び移るべきだった

私は下るエスカレーターを上へ上へとこれ以上下りへ落ちていかないように走り始めた

しかし、何倍もの力が必要な割に上へは上がれない その場で維持し続けることで精一杯だ

今、自分の中で下りきれない、もうところまで来てるみたい

自分の上りに移るためにもがいてるみたい もがいてます

けど、疲れた

今がチャンスなのだろう、ピンチでありチャンス

自分の人生をしんどいながらも考えて、立ち向かおうとしている

自分の人生を生きようとしている

悲しくて涙が止まらないけど 辛いから 受け入れてもらえないから

不安で仕方ない 自分の部屋にいるのが一番心地よい

自分がしたいことはない なんだろう

責任を負いたくない 責任取れないから

他責にしたい 自責にしたら わたし生きられへんもん

そんなんじゃ社会でやっていけへん つらい

悲しい こんな時 

ちょっとずつ小さな課題をクリアして自信につなげて行くしかないと

ネット記事によくかいてあるけど

自分のできることを増やしていくといいと

自分にできることを増やす それが誰かの役に立つと関係なく

できることを増やすといい 自信につながる

それしか手はないのか すごく地味 地味

地味は嫌い